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執筆者の写真永淵研究室の研究員

パルでの大地震・津波に心痛める



 テレビニュースをみて、驚いた。このブログにも紹介してきた調査地、インドネシアのパル(Palu, Indonesia) 市で大きな地震と津波。私達研究室では、2010年ごろからインドネシアのスラウェシ島・パルで、小規模金採掘活動 (ASGM) に由来する水銀汚染の調査・研究を行っている。私達は昨年12月 (2017年12月) にこの地を訪れたばかりだった。


 一年を通して常夏のこの国では、12月でも半袖で過ごせるほど。昨年パルを訪れた時も、今回津波の被害を受けたパル湾には夜になると、まるでお祭り騒ぎのように人が集まり、思い思いに夕涼みをしていた。食べもののみならず、風船やペンライトを売る屋台が集結し、夜遅くまで騒がしい。


 夕食後、共同研究者のIさんが車で私達をホテルに送りがてら、「ちょっと見学してみる?」とわざわざ、パル湾のあたりをドライブしてくれた。「いったい何時になったら、この人たちは寝るの?」との私の質問に「う~ん・・・11時か12時ぐらい?」との返答。車窓からの風景は皆楽しそうに見えた。パル湾をドライブし、街のシンボルである黄色い橋(パル市のランドマークのようなもの)を渡り、帰途についた。


 報道写真によれば、パル湾のモスク (海に浮かぶモスク) 、皆が楽しそうにしていた湾は津波に襲われていた。ランドマークの黄色い橋も、折り紙がペタンコにつぶされたような壊れようであった。


 阪神大震災を経験した筆者にとって、地震のニュースは、心が耐えられないので各地で地震が起こってもずっと目を背けてきた。愛着のある土地での災害はやはり心が張り裂けそうになる。


街が一日も早く復旧してほしいと、願ってやまない。



写真:パル空港を飛び立つ飛行機から見た、パルの街。2017年12月撮影。

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