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執筆者の写真永淵研究室の研究員

研究者の使命、論文を書く

 ひょんなことから、M先生と知り合ったのは、筆者が修士の学生になったころ。M先生は博士課程に進もうかと考えていた筆者にこう言い放った。「研究者たるもの、 (査読付きの) 論文を1年間に10も20も書くんだ。」そして、ニヤリとした。当時の筆者はヒヨッコもヒヨッコ、M先生の発言にひるんだ。

 研究者の業績を評価するバロメーターに査読付きの論文を書くことが、挙げられる。そして、これは公的、民間の研究費を得て研究する研究者の義務ともいえる (書いていない研究者も見かけるが・・・) 。ところが、この「査読付き論文」を書き、論文誌に収載されるにはさまざまな壁が待ち構えている。

 机にすわって始めるところから見てみよう。調査や分析を終え、観測の結果がエクセルなどの表計算ソフトに整理される。まずは、平均を求めてみたり、季節毎に並べたり図を書いたり値を出したりする。関連論文を読み漁りながら構成を考える。学術雑誌によって読者の興味がちがうので、自分の論文がどこの読者にウケそうなのかを見極めながら投稿する雑誌を決定。読者が再現できるよう詳細に、かつ、きっちりと方法を記載し、根拠や自分の研究が研究の世界のどの部分にあって何を明らかにするのかを見据えて執筆する。

 やっと第1稿を仕上げ、共同研究者と議論、洗練させていく。投稿すると1か月~程度で、論文についてのコメント (査読結果) がついて返却される。一回でOK (掲載決定)となることはほぼなく、コメントをもとに修正 (必要なら、反論し)、再投稿する。このコメントも、無理難題 (にみえるだけのこともある)がかかれていたりして、また悩んだり関連論文をみたり。これを数か月繰り返して掲載が決定される。しかし、レベルが低いと判断されると、「あなたの論文は掲載できるレベルにありません」と、ばっさりと脚下 (リジェクト) されることもしばしばなのだ。リジェクトはつらい。手塩にかけたものが拒絶された気分になる。しかし、悲しみに暮れるのは時間の無駄。ちかごろでは、気が合わなかったんだろう、というぐらいの落ち込みにとどめ、また書き直して別の雑誌にアプローチする。


 こうして、一喜一憂しながら学会誌の編集者から「掲載決定」の頼りを心待ちにするのである。

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得られたデータから何が言えるか?議論中。



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